「食物アレルギーと共に、社会でどう生きてきたのか?」

東京家政大学3年 松本南美さんにお話を伺いました。

松本さん写真

 

アレパパ今村:今日はお時間ありがとうございます。松本さんとは、以前、とある集まりで知り合っていますね。その時に聞いたお話しが印象的でして、もう少し詳しくお聞きしたいと思っていました。今日はインタビューに快諾いただいて、ありがとうございます。早速ですが、松本さんのことを教えて頂けますか?

 

松本さん:出身は仙台でして、高校生までは仙台にいました。兄弟は兄がいます。家族には食物アレルギーの人がいないんですよ、私だけです。

今避けている食品は、「卵」「乳」「魚貝類」「甲殻類」「そば」「ピーナッツ」「ナッツ類」で、アレルギーかどうか分からないけど「キウイ」は避けています。避けている食品は多いですが、エピペンは持っていないですが、常に抗ヒスタミン剤は持ち歩いています。

 

アレパパ今村:小さい頃からずっと、今おっしゃった食品を避けているのですか?

 

松本さん:ええ、小さい頃から、物心ついた時からですね。最近、ツナ缶が食べられることが分かりました。

 

アレパパ今村:どの程度、食べられないのですか?

 

松本さん:卵は添加物に含まれているくらいは食べられます。コンタミも大丈夫です。でも卵そのものは食べられないです。乳も卵と同じような状況です。卵、乳、魚貝類、甲殻類は触っただけで蕁麻疹が出ます。そして、煙もダメなんです・・・。目が痒くなって、鼻水、くしゃみが止まらなくなります(笑)管理栄養士を目指していて、大学では調理実習があるんですが、調理実習で焼いた時に出る煙で発症してしまいます・・・。

 

アレパパ今村:それだけ色々な食品を避けていると、給食はどうでした?

 

松本さん:小学校では自校方式で給食を作っていて、除去食に対応してくれました。私の通った小学校は、私より前にパナマから来た子がいて、豚肉や牛肉除去した宗教食の対応をしていたから、アレルギーにも対応できたのかもしれません。

私への対応は、卵スープなら、卵抜きのスープにしてくれたり、目玉焼きを鶏肉に変えてくれたり。タッパーに私の名前がマジックで書かれていて、給食の時は友達から「これ南美ちゃんの!」って渡してもらって、お皿に移して食べてましたよ。給食については、栄養士さんと母が月に一回打合せしていましたね。それで、母が付箋に、私の食べられるメニューと代替食を書いてくれていました。給食の時、それを私が見て、目の前の給食に間違いがないかを確認して食べるんです。

 

アレパパ今村:今まで給食で間違って食べちゃったとかありますか?

 

松本さん:小学校で一回だけあります。今でも鮮明に覚えているのが、2年生の時のことです。その日は卵スープの日だったので、母の付箋には卵なしスープ、タッパーにもマジックでなみちゃんって書かれていたんです。でも、スープには卵のようなものが浮いている・・・、「もしかしたら間違ってるかも・・・」ってちょっと思ったんですが、「もしかしたら湯葉かも・・・」って思って、食べちゃいました。そしたら、卵でして・・・。顔が赤くなってパンパンに腫れあがり、目が充血して、湿疹が出て、腹痛と吐き気で1歩も動けなくなり、のどが痒くなって・・・、すぐ保健室へ行き、電話で連絡を受けた母が学校に迎えにきてくれました。その後すぐ、主治医のところへ行き、点滴を2時間ほどしましたが、その時は死んだように寝ていたそうです。母が私を学校へ迎えにきたとき、校長先生が、私と母に謝りに来ました。普段よくしてもらっていたので、私も母も責める気は全然なかったし、私が気をつけていないのも悪いと思っていたので、母が校長先生に謝らないでくださいって言ってたのを覚えています。

今でも、この時の給食の光景が鮮明に記憶に残ってますね。給食が目の前にあって、横には付箋があって、スープを目の前にして「これ、私が食べられるスープなんだ・・・」って。

 

アレパパ今村:中学校は?

 

松本さん:中学校も給食でした。毎月一か月分の献立を受け取って、それを母がチェックしていたのを見ていました。特に、間違えたとかないですね。

 

アレパパ今村:友達と遊ぶときはどうしてました?

 

松本さん:私が食べられるものを持って行っていました。母は私に友達用のお菓子とかも持たせてくれていました。友達用のお菓子は私が食べられないのですが(笑)母が、「友達に持って行って!」って。でも、自分が食べられないことを、周りが当たり前に思っていたので、何も気にしていませんでした。逆に、友達が「南美ちゃん、これだったら大丈夫?」とか、「これ、この前食べてたよね」って気にしてくれていました。

中学生の時はマクドナルドとか良くいくじゃないですか。友達と外食でマクドナルド行くときも、私はポテトとドリンクだけで過ごしていましたが、別に何も思わなかったですね。私は今まで、アレルギーが理由で嫌な体験ってないんですよ。

 

アレパパ今村:お話ししていても感じるんですが、前向きですよね(笑)

 

松本さん:ええ、昔から(笑)アレルギーをハンデだ、マイナスだって考えたことがないんです。アレルギーがある自分を気にしなかったというか。人との違いをハンデだって捉えていなかったです。いつもそうでした。小学生の時、自画像の版画をつくる授業があったんです。私は、自画像の横に「プラス思考」「前向き」って彫ったんですよ(笑)授業参観に来た母に、「どっちも同じ意味だよ」って笑われました(笑)

でも、人と違う事を自分が認めてしまうのが嫌だったのかもしれないですね。私もみんなと同じ。私はそういう人なんだ、だから食べ物に制限があるだけ。みんなと同じだって無意識に考えてたんでしょうね。

可哀想って言われるのがほんとに嫌でした。「これ食べれないのは人生損してるよ」とか。見下されているような感じがして。食べられるものは実際たくさんあって、全然そんなことないんですけどね(笑)

 

アレパパ今村:お母さんのいろんな料理を食べてたからそう思うんですよね。

 

松本さん:ええ、美味しいものをいっぱい食べていました(笑)家で食べてるもの、母のもどき料理が美味しかったからいっぱい食べていました(笑)母のケーキは小麦にレーズンと細かいリンゴを入れたクッキーのようなかたーいケーキ。私のケーキはこれですよね。お母さんのお弁当も好きでした。お腹いっぱいでも残したことないんです!ただ、どうしても茶色のお弁当になりがちで、あまり美味しそうには見えませんでしたが(笑)

最近、母に、私に色々やってた時のことを今どういう気持ちかって聞いたことがあるんです。母は「当時は確かに大変で、夢中で、先のことは考えられず、必死だった。ただ今になって言えることは、子どもの面倒をみなきゃいけないのは、一生のうちのほんの10数年の短い期間だったなあ。」って。「確かに大変だけど、負担になったとは思わなかった。」って言ってました。私はお母さんにお礼を言うときは、いつも「美味しいご飯をありがとう」って言ってたそうです。手紙とか、カードでいつも渡してたそうです。だから、母が「お礼はお弁当とご飯のことばっかりだったよ」って(笑)

 

アレパパ今村:母の愛ですね。松本さんのその前向きさを見ていると、お母さんが見えてきますね。

 

松本さん:でも実際は母は、心配性で自分自身を落ち着かせるために、「大丈夫、大丈夫」っていつも言ってました。逆に私からしてみたら、それが前向きにみえてて…(笑)その前向きに見えた気持ちがうつったのかな(笑)アレルギーで発症しても、いつも「治まる、治まる」って言ってましたよ。

でも、小さい時から母の気持ちが私にうつっちゃうんですよ(笑)。母が不安な表情をすると、私も不安になっちゃって、大丈夫って思っていたのが、母が不安な表情すると、「やっぱりなんかおかしいかも・・・」って思うんです。母の表情をよく見てたんですね。高校生の時、受験のストレスで、顔のアトピーが悪化したんです。その時、私は気にしてなかったんですが、母が心配しだしたら、私は「あれ、やっぱりダメなのかも・・・」って思って自信無くしちゃうことがありました・・・。

自分のことを一番分かってくれているのが母。だから、母が悪いと思うと、私だめなのかも・・・って。感情が自分より母だったんです。

これ、実は今でもちょっとあるんです。この年になったから、少しはコントロールできるようにはなりましたが・・・。実は、東京に来てからアトピーが良くなりました(笑)親元を離れて、しっかりしなきゃ!って思ってから強くなったんです。だから、仙台に帰ると体調が悪くなるときあるんですよ(笑)。住んでた環境を体が覚えてるんでしょうかね?(笑)母からは「ママアレルギー?」って言われました(笑)

 

アレパパ今村:大学に入って、今の環境はどうですか?

 

松本さん:大学の友達と旅行に行けるようになったのは大きな変化ですね。アレルギーがあって、家族旅行はなかなか行けなかったので楽しい生活です。今は、和菓子好きな友達が集まって、色々なところに行っています。アレルギーがあることに関しては、不安は全然ありません。

調理実習では、私が食べられないものを作る時、先生と友達が私が食べられるものを話し合って私に合わせてくれることがあるんです。これに、先生が勉強になる、とか、友達も実際こうやってアレルギーの対応しないといけないというのが、すごい勉強になるって言ってくれてて、ありがたいですよね。私自身がちょっとした教材になってたらいいな(笑)小中高大学と、友達に恵まれたなって思います!

あと、この年になって、父と一緒に外でお酒を飲む機会が増えました。仙台に帰る時は、父の仕事の関係の飲食店で一緒に食べて、飲んで帰るんです。それが楽しいですね。

お酒強い方なんですが、大学の友達からは「アレルギーで食べられるものがなくても、お酒強いからいいじゃん!」って(笑)

 

アレパパ今村:これは食べられる、食べられないというのは小さい頃から身についてました?

 

松本さん:幼稚園のころまでは母のいないところでは、食べたことのないものは決して食べませんでした。ただ、食べられるものはわかっていたみたいです。小中学生になってからは乳化剤とか、卵殻カルシウムで判断に迷ったときとか母に毎回確認してました。それで覚えました。高校生の時には自分でほとんど判断出来るようになっていました。

小さい頃、スーパーでおもちゃ付きのお菓子の裏を真剣に見てましたよ(笑)おもちゃが欲しくて欲しくて(笑)でも、お菓子が食べられるかな?って。周りの大人にしてみたら、「何だこの子は?」って感じだと思うんですけどね(笑)もう、おもちゃが欲しいから真剣ですよ(笑)

 

アレパパ今村:管理栄養士を目指していますが、やはり自分の経験からですか?

 

松本さん:はい、そうです。自分の経験と大学でやってきたこと、アレルギーの子どもたちに自分が出来ることで社会と関わっていきたいんです。あと、東京に出てきたかったというのも・・・(笑)

 

アレパパ今村:以前お会いした時に大学で「白藤プロジェクト」というのをやっているとお聞きしていましたが、どんな活動をしているのですか?

 

松本さん:大学内の有志団体です。色々な活動があるのですが、その中でアレルギー支援があります。実際、アレルギー物質を使用しない食品を作って販売していました。

きっかけは、友達が「これ、食べれるんじゃない?」と紹介され、食べてみたら感動して、そのプロジェクトに学生が携わっているのを知って、携わりたくなったんです。そして、この感動を多くの人に伝えたい、アレルギーの子どもに笑顔を届けたいと思いました。それから、プロジェクトに関わり始めたんです。

板橋区内の幼稚園や保育園にアンケートを配って、どういったアレルギーが有りますか?どういったスイーツが食べたいですか?を聞きました。それで、集まった声の全部に応えよう!ということで、アンケートに入っていたアレルギーの全てを使わないスイーツを作りました。見た目も可愛くして。出来るだけいいものを作ってみよう!って。ライスミルクに着目して、カスタード風のクリームを作り、動物の顔をしたクッキーをカップに入れた商品を作りました。最終的には「何系のスイーツだろう?」と、定義できないものが出来ましたよ(笑)実際、アレルギーのお子さんを持つ方から喜びの声をいただきました。

でも、やってみて思うんですが、これが成功かと言われると「う~ん」という感じです。とても難しいと思いました。喜んでくれた人もいるんですが、アレルギーがない人にも美味しいと思えるものじゃないといけないな・・・、と。

 

アレパパ今村:良い経験されてますね。今三年生で、卒論が始まる時期だと伺いましたが、今後はどんな夢をお持ちなんですか?

 

松本さん:卒論は、「小麦粉の低アレルゲン化に向けた調理方法の提案」を考えています。避けている食品が多い私ですが、小麦は唯一食べられるので、小麦を使った卒論です。経口減感作療法に向けた応用の検討まで持って行けたらいいなと。具体的には、小麦粉のグリアジンを、麹を発酵させた液やヨーグルトを発酵させた液で分解させ、抗原を減らしたクッキーとかルーを今作っています。グリアジンがどれだけ分解されているのかをエライザ法で比較したり…今後の進行具合を見ながらですが、ラットの小腸で消化させて反応をみたり、患者さんの血清反応を見たりできたらいいなと。ちなみにスペルト小麦を使用しています。

経口減感作ではうどんが使われていますが、クッキーとか簡単なもので出来るようにならないかな?と考えています。

 

アレパパ今村:これから卒論、就職活動で忙しくなりますが、松本さんのような方が増えていくことが、アレルギーの子どもたちの未来をつくることになるので、是非頑張ってくださいね!今日はありがとうございました!

 

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