新シリーズ

『食物アレルギーと共に、社会でどう生きてきたのか?』

今回は、お茶の水女子大学 4年生の藤原千南さんにお話を伺いました。photo1

アレパパ今村:藤原さんとの出会いは、一本のメールでした。卒論のテーマに「食物アレルギー」を選び、僕にインタビューのお願いがありましたね。卒論は無事提出できましたか?

 

藤原さん:提出できました!

 

アレパパ今村:どんな内容の卒論だったのでしょうか?

 

藤原さん:『食物アレルギーに関する現状と今後の展開 ~インタビューを通して~』というタイトルで、企業へのインタビューや、就活中の質問などをまとめ、今後の展開を考察したものとなりました。

 

アレパパ今村:なぜ、卒論に「食物アレルギー」を選んだのでしょうか?

 

藤原さん:今までにない卒論としたかったこと、就活で食品企業を受けてきたこと、あと自分の実体験を踏まえて書けると思ったからです。ゼミの先生は医療と経済が専門の方でもあるので、近しいかな・・・、と思ったんですが、先生も知らないことが多くて、色々調べてくださいました。

 

アレパパ今村:卒論、お疲れ様でした。さて、今回のインタビューは、藤原さんが小さい時に何を感じ、何を思い生きてきたのかをお聞きしたいと思っています。簡単にご出身からお聞かせください。

 

藤原さん:生まれは熊本県で、幼稚園から福岡県に行きました。病院は、ずっと同じ先生が良いということで、小学校前まで、熊本の病院に通っていました。

 

アレパパ今村:ご兄弟は?

 

藤原さん:私一人で兄弟はいません。

 

アレパパ今村:藤原さんの食物アレルギーについてお話しいただけますか?

 

藤原さん:小さい頃は「卵・乳・小麦」のアレルギーでした。特に「乳」の症状がひどかったです。今でも、牛乳は単品で飲んだことがありません。でも、今はカフェラテは飲めるし、チーズも食べられます。チーズは嫌いですが(笑)。卵は、今は「生卵」以外は食べられます。高校生の時に生卵にチャレンジしたことがあり、その時具合が悪くなって、それから生卵は避けています。小麦は、小学生のころから食べていました。でも、給食では食べていませんでした。卵や乳が入っていたので。家の近くに、天然酵母の「卵」「乳」を使わないパン屋さんがあって、そこのものを買って、給食の時食べていました。

 

アレパパ今村:クラスにも食物アレルギーの子どもはいましたか?

 

藤原さん:同じクラスにはいませんでした。1クラス40人で4クラスの学年でした。学年に2,3人卵が食べられない子がいましたね。

 

アレパパ今村:学校の給食で記憶にあることはありますか?

 

藤原さん:3年生か4年生の頃に除去食を出してくれるようになりました。代替食ではなく、みんなに出すメニューからアレルゲンを除いたメニューです。思い出にあるのは、ワゴンに私のものがラップされて、食べるときはいつも冷めていたことですね(笑)でも、みんなと一緒のものが食べられた記憶が残っていて、良かったと思っています。

 

アレパパ今村:「みんなと一緒」ということは、周りに気にされるのに抵抗があった、ということですか?

 

藤原さん:私は牛乳を飲んでいなかったのですが、その牛乳を飲んでいないことを牛乳嫌いの子から「飲まなくていいな」と言われ、そのことをよく親に嫌だと言ってました。でも、私が通った小学校は良く対応してくれたと思います。始業式の時、先生がみんなに向けて、私がアレルギーで食べられないことを話してくれました。高学年になると、友達も分かってくれたし、クラス替えがあって、友達が変わっても、秋ぐらいにはみんなの当たり前になってましたね。始業式の時に私の話しをみんなにされるのは嫌だったんですがね・・・。

 

アレパパ今村:小学校だと友達と遊ぶし、駄菓子屋さんとか行って、おやつを買ったりしませんでした?

 

藤原さん:ええ、しましたよ。自分なりに大丈夫なものと、食べたらダメなモノが分かっていました。するめやガムは大丈夫とか。「乳」と「卵」の漢字は形で覚えてました。これは、親から教わったと思います。「卵」の漢字がついているものは避ける、「乳」の漢字がついてるものは避ける、あと「カゼインNa」とかも教わりました。一緒にスーパーに買い物に行くと、毎回親がひっくり返して確認しているのを見ていたんです。その時、親がこれがダメというのを覚えています。

 

アレパパ今村:間違って食べて・・・、とかありますか?

 

藤原さん:何回かあります。記憶にあるのは、両親がアレルギーの講演会に行っている時に、デパートの託児所に預けられたんです。たぶん、2歳か3歳の頃だと思うんです。その時、お母さんがお菓子を託児所の人に渡していたんですが、イチゴのポッキーが出てきたんです。その時は、子どもだから、大人から出されたものは大丈夫という感覚でした。でも、食べた瞬間「知らない味がする・・・」と。顔が腫れて、喘息が出て病院へ。その時のことはよく覚えています。

 

アレパパ今村:そんな小さい頃の記憶があるんですね。

 

藤原さん:今でも味まで覚えています。その時親が泣いていたんですが、私は「美味しかった」って言ってたんです。今でもイチゴのポッキーを食べると思い出しますね。

 

アレパパ今村:小さい頃のことで他に記憶に残っていることはありますか?

 

藤原さん:お母さんが給食でみんなと同じものを食べさせてあげるために、色々作ってくれました。給食でハンバーガーを自分で重ねて食べることがあったのですが、私のは、お母さんがお米でバンズを作って、お肉も作ってくれました。それでハンバーガーを食べたんです。あと、スコッチエッグも真ん中はかぼちゃ、外側はジャガイモで似せて作ってくれました。カレーもダメだったので、靴箱のところでお母さんから保温されたものを渡してもらったことも覚えています。教室まで来て、みんなにばれちゃうのが嫌で・・・。他のクラスの子からも見えちゃうから、最小限に留めたくて・・・。

あと、お父さんが東京出張のお土産に、飛行機で食べられるお菓子を抱っこして持ってきてくれたことも。ホワイトデーのお返しに、ネットで取り寄せた美味しい焼き芋とか。

 

アレパパ今村:中学生時代はどうでした?周りに食物アレルギーを話すことはどうでした?

 

藤原さん:中学校はお弁当でした。みんなお弁当だからあまり気にしていませんでした。でも、出来れば言いたくないと思っていました。言わなくて済むなら言いたくない。なんか、言いたくないんです。たぶん、自分の弱みのような感覚です。

 

アレパパ今村:他の人が食べられるのに「自分だけが食べられない」ことをどう感じていましたか?

 

藤原さん:私は良い想い出が一杯あって、あまり悪かったって思うことがないんです。近所のお友達のおうちに遊びに行ったら、友達のお母さんが食べられるお汁粉を出してくれたり、から揚げも片栗粉で作ってくれたり。お母さんが話してくれてたんだと思います。嫌な思い出ってそんなにないんです。

でも、地域の子ども会での思い出があります。行事のあと、ほかほか弁当が出るんですが、おかずは何も食べられなくて、ご飯だけ食べていたり、発表会の後、みんなでマクドナルドに行くんですが、ジュースだけで過ごしたり。私としては、「当たり前になっていて、しょうがない、という諦め」でした。でも、周りの理解がありました。

両親にあたることもありました。みんなと食べられないのが嫌だと泣いた記憶もあります。小学校低学年くらいの時、一回、母親を泣かせたことがあります。でも、泣いた母親を見て、大変さがわかりました。その時、親がここまでしてくれていることが分かって、それがきっかけで、自分を受け入れることができました。

 

アレパパ今村:小さい頃、我慢することは辛かったですか?

 

藤原さん:我慢することは辛かったですが、親が色々やってくれました。私の小学生の時の将来の夢が「ソフトクリームを食べること」だったんです。アイスはいつもシャーベットですから。ソフトクリームの食感が分からなくて、未知の世界。とても羨ましかった。そこで、親がコーンにサツマイモでクリームを作ってくれたの覚えています。

それと、誕生日は、母親が毎年作ってくれました。スポンジではなく、蒸しパンで。クリームはサツマイモ。それが当たり前でした。特に他のケーキを食べたいと思っていませんでした。今でも「昔食べたのが食べたい!」と思うことがあるんです。もう、お母さんが作ってくれませんが(笑)今でも、普通のケーキは私にとってのケーキじゃない!って思っています。今食べられる普通のケーキは、ケーキなんだけど、自分にとってのケーキじゃないんです。お母さんが作ってくれたケーキが私のケーキです。

 

アレパパ今村:藤原さんと同じような境遇の子に伝えたいことはありますか?

 

藤原さん:小さい頃は一生治らないと思っていました。でも、食べられる食材が一つ増えるだけで生活が大きく変わりました。絶対治る保証はありませんが、治る可能性もあります。だから「食べられない、悲しい」という風に考えないで欲しいです。

あと、食物アレルギーのお陰で、忍耐力がつきましたね。我慢するのが当たり前の生活でしたから。アレルギーと生活するより辛いことはないんじゃないかって、今思っています。だから、今は何でもできる、と思っています。

 

アレパパ今村:社会に伝えたいコトはありますか?

 

藤原さん:卒論を書いた結果、アレルギー対応食品を増やすという気持ちが少なくなりました。もちろん増えることは良いことなんですが、買うかどうか・・・というところが難しい部分だと思います。増やすよりは問い合わせ対応ができるかどうかが大切だなと。問い合わせた時に回答をしてくれるかどうかです。それで、食物アレルギーの人は安心するし、企業もそういう声を聞くことで、自然に商品が増えていくんじゃないかと思います。

この前、地元に帰ってスーパーに行ったとき、アレルギー対応商品のコーナーが分かりやすい場所にあったんです。これは、とても衝撃的でした。

少しの配慮で食物アレルギーの子どもが食べられるものが増える、ちょっとした対応で自然に良くなっていくんじゃないかと思います。

 

アレパパ今村:今日はありがとうございました。