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最近、アレルギー表示について考えていることが長く、いつも頭の中をグルグルグルグルグルと「安心安全」とか「信用信頼」とかが、グルグルグルグルグルグルグル回ってます。

そこで、一度これを整理しないといかんなぁ、と思い、考えてみました。

まず、それぞれの言葉の定義しなくちゃということで、

「安全」とは
客観的にリスクがないこと、ですね。
しかし、世の中リスクがないということはありえません。つまり、『リスクが享受できるレベルにまで極小化されていること』と考えます。

「安心」とは
はい、不安のないこと、ですね。

「信用」とは
客観的な過去の成果や実績。

「信頼」とは
未来の成果に対する期待。

さて、ここで認識しなければならないのが、全て違うということですね。

・安全と信用は客観的
・安心と信頼は主観的

さらに、違うのは

・安全と信用は可視
・安心と信頼は不可視

そこで、これがどのように成り立っているかですが、

回りくどく言うと

客観的に可視出来る「安全」と「信用」の情報の上に作られる「信頼」の継続が「安心」を生むということ。

最も根底に必要なものが「安全」と「信用」の客観的な情報。

では「信頼」はどうやってつくられるか?
「安全」と「信用」を重ね続けるだけで「信頼」が出来るか?

これは出来ないですよね。

「安全」と「信用」を重ねた上に「コミュニケーション」を通さないと「信頼」が出来ない。
そして、これを継続することが「安心」につながる訳です。

こんな感じ。

(「安全」+「信用」)×「信頼」⇒「安心」

 

例えば、マンションを買う時はどうかと。

「安全」・・・建築基準法や住宅性能評価の客観的情報。可視化されてます。
「信用」・・・デベロッパーやゼネコンの社歴や業績などの客観的情報。これも可視化されてる。

さてここで、この情報だけでマンション買いますか?買うにあたって安心できますか?

この情報くらいなら、簡単なパンフレットで表現できる程度ですね。

その簡単なパンフレットだけでマンション買いますか?というと買いませんよね。
どんなにパンフレットがかっこよくても普通の人は買わないでしょう。なぜか?

安心できないからです。

では安心できるためには何が必要でしょうか?

信頼です。

この信頼は主観的なもので、不可視なもの。

モデルルームに来て、営業マンと波長がぴったりあって買う人もいれば、不動産業の人なら営業マンの話を聞かずに買う人もいるし、どんなに説明されても買わない人がいます。

つまり、信頼は人それぞれということですね。

でも、モデルルームへ行く回数が増えれば、購入の確率も上がっていきます。

なぜか?

それは「安全」と「信用」を基にコミュニケーションを繰り返して「信頼」が出来たから。

そう、「安心」したからです。

何を言いたいかというと、「安全」とか「安心」とかの関係性を考えずして「安全」「安心」を作り出そうとしていることが多いと思ったということです。

 

昨年の虚偽表示もこの考え方が当てはまりますね。

虚偽表示は客観的な「信用」情報が崩れました。
つまり、「安全」は確保されてるが「信用」がない状態。(今は一般のアレルギーがない人にとってですよ)

ここで「信頼」がどの程度残ったか、という個人的な主観が左右します。

これで信頼が無くなれば、安全であっても安心がなくなるし、まだ信頼しているなら、安全と安心が残る。

そう、だから安全なのになぜ、そこまで騒ぐことか?っていう記事書く人がいたりしたんです。

でも、アレルギーの人たちにとっては、「安全」と「信用」が崩れた。

両方ともないんだから、「信頼」がいくらあろうと、「安心」はないわけですね。

圧倒的に一般の人と「安全」の基準が違うからですね。

 

さて、ではアレルギー表示でどこまで出来るでしょうか?

今の表示に客観性はありますか?ということがとても大事になりますね。

自主的な表示に客観性はありますか?ということです。

これが、ずーっと、ボクが言い続けている「表示だけで解決できますか?」と言うことにつながる訳ですね。

客観的なリスクを極小化するための「安全」情報と客観的な過去の「信用」情報。
この二つを可視化した上で、現場でコミュニケーションを重ねて「信頼」を作る。
それが「安心」につながる。

という長いストーリーが必要なのが、アレルギーの外食問題なのでしょうね・・・。

※あくまで個人的な見解ですが・・・。

でも、この考え方、営業マンでも当てはまるかも・・・。